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「弁護士志望の司法修習生,4割が就職先未定 過去最悪」

昨日の朝日新聞夕刊の見出しである。また「合格者数が多すぎる」「もっと減らせ」という論調がおおくなるだろう。「質が低下している」「法的サービスの質も落ちる」という議論とワンセットである。しかし,私はこの議論にはくみしない。
 新司法試験の第一回の合格者発表の数日後,同級生たちの飲み会があった。そのとき参加してくれた憲法の土井先生が「君たちは数が多すぎるなどと言わないだろうね」と話しておられた。「だから」というわけでもないが,私は口が裂けても司法試験の「合格者数を減らせ」などというつもりはない。
 都会にいたい,と思うから就職先がないのである。法的サービスの需要は人のいるところ,どこにでもある。都会で就職できなくなるのはいいことである。「やむなく」田舎へ行けば,法的サービスの受けられるところが広がる。司法改革の理念の一つが実現できるのである。
 「質の低下云々」の議論も馬鹿馬鹿しい限りである。定量的な証拠は一切ないし,定性的な評価すらほとんどみたことがない。お題目のごとく「合格者数が増えて質が低下し・・・」と唱えられているだけである。そういう言い方がされるのならば,開き直っていえば「水増しすれば味が薄くなるのは当たり前」である。さらに言えば,弁護士会で懲戒される弁護士の入会年次を見てみればよい。高邁な理論を展開する能力があるかどうかより,最低限懲戒されるような仕事をしないことのほうがはるかに大事であろう。味が薄くても,少なくともロースクール出身者の懲戒事例はほとんどあるまい(もっとも,それほど誘惑の多い仕事をしていない,ということもあろうが)。
 ロースクールの一期生として,数の問題も質の問題もムードだけで議論するのはやめてほしい,と思う。少なくとも証拠に基づいて理屈をくみ上げるのが弁護士としての最低限の資質であるはずだから。

会館維持協力金訴訟

会館維持協力金訴訟に負けた。予想外の結末だった。
もともとこの訴訟は私が原告ではあるが,実質的には三人の訴訟であった。そして,基本的には三人だけの訴訟でもあった(ごく少数ながらは陰で支援してくれる人はいたが,表だって一緒にやる人はいなかった)。
私以外の二人は畏友YさんとIさんである。訴訟代理人になってもらったり,準備書面をかいてもらったりチェックしてもらったり,衆議院法務委員会の議事録を探してもらったり。すべて三人で議論し相談しながら進めてきた。三人ともロートルである。昭和19年生まれ,24年生まれ,そして25年生まれ。みんな60才を超えたロートルの訴訟であった。
Iさんは,最高裁の判決の前に亡くなった。Yさんと二人で「勝って霊前に報告したいね」とときおり話していたのだが・・・・・。
それができなかったのが無念である。

敗訴

 昨年の春ころから手掛けていた訴訟に敗けた。当初から「難しい戦いになりますよ」ということは依頼者に言っていた。しかし,訴訟を提起したい,なんとか一矢を報いたいという依頼者の気持ちはよくわかったので,やってみようか,という気になった。依頼者も,証拠集めを依頼するときちんと答えてくれたし,一緒に戦う,という気持ちも共有できた。
 しかし,第一審ではろくに審理もしてくれず,まるで「輩がいちゃもんをつけている」訴訟のごとく扱われた。原因の一つは,裁判官と全く呼吸が合わなかったことによる。相手方に対して証拠提出の要求をしたが,繰り返し繰り返し説明をしても裁判官はわかってくれず,最後にはこちらも切れてしまい,そのことがまた裁判官の不興をかったようだ。当事者尋問すら行ってくれず,完敗であった。
 もともと難しい訴訟だったから,もうこれで終わりにしようかと思い,依頼者にも「すいません。でも上に行っても同じだと思いますので」といっていた。依頼者も「先生がそういうのなら,やむをえないですね」と言ってくれていた。しかし,控訴期限が近付くにつれ,私のほうが悔しくなり,最終日に依頼者に電話して「やっぱりやらせてください」と言って控訴をした。それから,1年。高裁では,第一回期日で終わることも多いのだが,この事件は「一審ではなにもやってないですから」ということで,通常の第一審と同様の審理をしてくれた。一審とは違い,裁判官の指摘は,こちらに有利な点,不利な点ともに的確であった。証人尋問では,私自身は圧勝したと思ったし,依頼者もそう感じてくれているようだった。しかし,二つある争点(どちらもクリアーしなければ勝てなかった)のうち,一つは完全にクリアーしたが,二つ目は,自信をもてなかった。依頼者には「尋問では完勝だと思いますが,しかし,結果はわかりません。勝つ可能性がでてきた程度でしょうか」と伝えていた。
 結果は敗訴だった。判決文を読むと,やはり一つ目の争点はこちらの主張が認められていたが,二つ目の争点は,主張は認められなかった。
 こうなることもある程度予想はしていたが,一緒になって一生懸命取り組んだ事件だっただけに悔しい。依頼者に結果を連絡すると「そうですか。わかりました。また,お礼にいきますから」と言ってくれた。しかし,自分の事件である。私の何倍も悔しいに相違ない。
 弁護士という業務の宿命だろうが(勝ってばかりいる弁護士はいないだろう),数日元気がでなかった次第である。
 

弁護士もいろいろ

弁護士の世界にもいろいろな人間がいる。何度か不愉快な「奴」に遭遇したことがある。
一人は,受託事件の相手側弁護士で,相手方の実力行使をやめさせようとして電話をすると「あなたの内容証明郵便ほどお粗末なものを見たことがない。最近は偽弁護士が跋扈してますからね。あなたほんとに弁護士ですか」ときた。私は激怒して「それはどういう意味だ。言っていいことと悪いことがあるだろう」と強くいうと態度が変ってきた。おそらくは,私が新米弁護士だと知っており,威圧すればしゅんとしてしまう,と計算していたのだろう。この男がさる国立大学ロースクールで法曹倫理を教えていたと知ったときは,あいた口がふさがらなかった。
もう一人は,破産事件の管財人である。「まあ,あなたなんかこういう事件は経験したことがないでしょうけど・・・」と当方を小馬鹿にし,管財人の権威をかさにきて,やくざまがいの恫喝をしながら人を顎でこき使おうとする。腹にすえかねて開き直ると「裁判所にいいつけてやる」ときた。率直なところその男は人格的に欠陥があるように思う。
一緒に働いている西口君のところにある弁護士から電話がはいってきた。「12期の誰々だがね。君が扱っている事件のことだけど・・・・・」と言って,おまえなんかでてきてもどうしようもないぞ,というようなニュアンスで話をしたそうだ。西口君も相当怒っていた。もちろんそれで事件を終わりにするつもりはさらさらない。
一寸の虫にも五分の魂はある。新米であっても,小事務所であっても,その五分の魂をふみにじるような相手を許すつもりはない。
一方で,自分たちより,さらに経験のない,期の若い弁護士であっても,決して失礼な態度をとるようなことはしないつもりである。

うれしさも中くらいかな,おらが春

今日,私が提起していた大阪司法書士会に対する不当利得金返還訴訟の判決があった(興味のある方は,トピックスを見てください)。完勝だった第一審判決の一部が変更された。
判決をきいた直後に思い出したのが「うれしさも中くらいかな,おらが春」という一茶の句である。当時の一茶の心情と似ているところがあるようにも思えぬが,うれしくて体いっぱいでその喜びを表現する,というような気分にまではならないところはたぶん共通しているのだろう。ま,しかし,相手のある話である。満腹感はいつも求められるものではない。腹8分目でよしとずべきだろう。
この事件は,自分の事件であるが,負託をうけた「人の」事件でも,満腹感一杯の結果がでることはまれだろう。特別の場合を除いて,事件は「相手のある話」であることを常に自分にも言い聞かせ,依頼者にもわかってもらう努力が重要であるように思う。


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