「胆石症」と診断されてから約3か月。必死で減量と体力づくりに取り組んでいる。84㎏あった体重は73㎏に減った。朝晩はストレッチもどきの体操を行う。スイミングプールにいって歩いたり,自宅から摂津峡近くの下の口までを早足で往復する。暴飲暴食,運動不足で完全に錆びついていた体を還暦をすぎてから立て直そうとしているようなものである。もっとも,かの三浦雄一郎氏も60過ぎのときは完全にメタボだったそうで,それから懸命に体力づくりに励み,ついには75歳(だったと思う)で,エベレスト登頂までやり遂げた。それを考えると,体の錆をとることくらいはできそうな気がする。
最近の夢は,四国88か所まいりである。総距離1200㎞。40~50日かけて徒歩で回る。背中に「無料法律相談 弁護士多賀光明」の幟をたてて,ときに沿道から声をかけてくれる人の法律相談にのる。体の錆のみならず,心の錆も取れるのではないか,などと思う。
四国遍路の解説書と地図を買って時々寝る前に眺めている。「夢」というほど遠い事柄でないような気もする。胆石の手術でも終わったら本格的に計画しようか,とも考えるこのごろである。
2月3日の夜,家内と京都岡崎の京都会館で催された石川さゆりショーに行った。芸能音楽の類には縁がない私だが,それでも石川さゆりの“天城越え”や“風の盆恋歌”は大好きで,一度はテレビではなく,本物を見てみたい,と思っていた。会場にきていたのは,ほとんど同年輩の人たちだったように思う。なんとか何十年かを生きてきて,その経験が稀代の演歌歌手の歌をききたいという気分や感情を共通にさせているのかも・・・・などと思う。
やはり舞台は素晴らしかった。
帰りに,ふと思い立って京都会館から徒歩数分のところにあるはずの居酒屋をのぞいてみることにした。学生時代(もう40年まえの話である)によく行った店である。はたしてあるかどうか,と思いながら行ってみたら,あった! 店を切り盛りしていた“お姉さん”も老境であるが,今もいた。「熊野寮にいたんですが・・・・」というと,数秒たって「そういえば面影がある」と言ってくれた。短い時間だったが,昔の思い出話をしてお銚子を2本あけ,餃子を食べた。そして気分よく帰宅した。
話はここからである。夜中に,上腹部に違和感があって目が覚めた。だんだん鈍痛がひどくなり,気分も悪くなった。口に指をいれて,必死の思いで胃の内容物をだしたが,それでも鈍痛はおさまらない。居ても立ってもいられず,ふとんの上に寝転がっても,どんな姿勢をとっても鈍痛はおさまらない。どれくらいたったか,ようやく眠気が勝って,寝ることができた。この鈍痛が,その翌日も,さらにその翌日も続いた。なんとかかんとか寝ることはできたが,3回目の鈍痛がきた朝,家内が「顔が黄色い」という。事務所にでると,皆に「病院に行った方がいいですよ」と言われた。
それでかかりつけの医者の所に行ったところ,血液検査,尿検査,エコーを取ったあと,近くの大病院を紹介された。
翌々日,その病院の内科を受診する際の問診票に「癌だった場合,告知を希望しますか」との質問があった。しばらく考えて「希望しない」の方に○をつけた。
そこでも,エコーをとりX線写真をとり血液検査をうけたあと,内科医の診察をうけた。「胆石ですね」「とった方がいいです」「外科を紹介しましょう」ということで,その日のうちに,消化器外科で再び診察をうけた。ここでも問診票があった。「告知しないでくれ」と内科で言ったものだから,ほんとに胆石だろうかと疑いはじめ,「どうせ,告知されなくても,医者の様子や家族の様子,治療の仕方を見ていたらわかるものはわかる」「ずっと,疑心暗鬼でいるよりも,すっきり言ってもらった方がよいかも」と思い始め,外科の問診票には「内科では,告知しないでくれ,と言いましたが考えをかえます。全部言ってください」と書いた。
外科医は「胆石でしょうが,がんの可能性も排除しないでみてみましょう」ということで,翌日に血管造影のCT検査,さらにその翌日にはMRI検査を受け,その3日後にそれをみて今後の方針を決めることとなった。
この3日間は,実にうっとうしかった。インターネットで病名や症状,検査方法を検索しまくり一喜一憂することを繰り返していた。
結論は「胆石症」だった。手術はしなければいけないようだが腹腔鏡でできるということで,あまり大げさに考える必要はないようだ。ただし,肥満で脂肪が腹部にたまっているので,「体重を減らして脂肪も減らしますから」といって外科の先生にお願いして少し手術を先に延ばしてもらうことにした。
外からみればなんということのない話であるが,本人としてはいろいろ思うことがあった。
親しい友達数名に,精密検査中という話をしていた。ある友達に「やっぱり胆石だった」というと,「ああそれはよかった。しかし,ちょっと残念なような気もするな」と言われた。「残念,ということはないだろう」と答えたが,まあ,当人以外からみれば,そんなものかもしれない。
日弁連会長選挙がはじまった。4人の候補者がいるが,法曹人口問題については,3人は司法試験合格者数を1500人にする,と言っており,他の1人は,減員のために法科大学院を廃止せよ,と言っている。
マクロの制度論については,私は減員反対だが,まあ,そういう主張をするならご自由にという感じではある。
ただし,一点許せないのは,どの候補者も渦中の人(すなわち法科大学院に通っている人,卒業して受験中の人,さらにいえば三振した人)に対する配慮が全くないことである。「3000人合格」「法科大学院卒業者の7~8割合格」,そう言われて進学したのである。事情を知らない“馬鹿者”どもから「甘えるな」という声が聞こえてきそうであるが,「甘え」ではない。2~3割しか合格しないのなら最初からそういってくれ,1500人しか合格させないのならこれも初めからいってくれ,と主張しているだけである。ある選択肢の「リスク」が高いのがわかっていれば,その選択は自己責任である。司法試験の合格率が低くて合格できなくても最初からそれがわかっていれば,甘んじて受け入れよう。ところが,法科大学院制度は,後出しじゃんけんばかりである。私は初年度の進学者であるが,その進学者が受験するときの合格者数が,入学後も決まっていなかったのである(7割から8割という議論を前提にして進学しているものが多かった)。ところが,実際には4割程度の合格でしかなかった。一年生在学時新聞に合格者数の予測がでたとき,私も含めて社会人出身者3人で昼食をしていたが,みんな「こんなことなら,仕事をやめて法科大学院にはこなかった」といった。それ以降,ここ7年間ほど,合格者数については後出しじゃんけんの連続である。当初,平成22年には合格者数が3000人になるはずであった。それが,未だに2000人である。この合格者数をどこで決めているのかも全く不透明である。法務官僚と裁判所,検察庁,弁護士会の「優秀な」法曹三者が,司法改革の議論をいつのまにか放り出し,制度をいじり倒しているのだろう。
さる高名な裁判官がいる。司法研修所の所長でもあったし,いまはどこかの地裁の所長をしているようである。この裁判官が新聞で「質が確保できなければ,合格者数が減るのはあたりまえ」などと言っていた。しかし,過去の司法試験の歴史を知っている人間から言えば,何を言っているのだ,という感じである。そもそも,司法試験合格者数が絶対基準で決められていたことなどない。まず数をきめて,その数だけ合格者を出していたのである。この裁判官は,合格者数を予定より低く抑えることを正当化しているだけである。
また,この裁判官は,同じころ法科大学院の必修科目の「法曹倫理」の教科書を出版していた。私は無性に腹がたった。少し説明しなければわかりにくいだろうが,要するにこの人は人間性に対する理解がないか,あるいは強者の論理でそれを無視していると感じたのである。
「法曹倫理」が役にたつのは,弁護士になったときである。大事な科目であるとは思うが,しかし,司法試験の科目ではなく,受験自体には何の役にもたたない。この裁判官のいう「質」と法曹倫理とは全く関係のない受験科目の成績のことである。
2~3割しか合格者のいないときに,受験と全く関係のない(合格して弁護士となって初めて意味のある)「法曹倫理」の勉強に身がはいるかどうか,自明の理であろう。いいとか悪いとか言っているのではない,それが人間というものだろう。そして,受験科目の成績が悪ければ(質が確保できなければ)落とすのは当たり前,と言っている人間が,受験科目とは関係のない「法曹倫理」の教科書を出版して受験生に勉強させようとしているのである。
この人は,「法曹倫理」の授業の際,後ろの席に座って内職をしている人間の気持ちなどかけらもわかってないか,そんな人間などどうでもよいと考えているのだと私は思った。だから腹がたったのである。
マクロの法曹養成の制度論や数の問題になると,こうした官僚,法曹三者の強者の論理しか通用しない人間ばかりが発言しているように思えてならない。制度の渦中で「しんどい思い」をしている学生,受験生の立場に配慮している発言などついぞ聞いたことがないような気がする。今回の日弁連の会長選挙での,法曹人口論もまた同じである。
昨日の朝日新聞夕刊の見出しである。また「合格者数が多すぎる」「もっと減らせ」という論調がおおくなるだろう。「質が低下している」「法的サービスの質も落ちる」という議論とワンセットである。しかし,私はこの議論にはくみしない。
新司法試験の第一回の合格者発表の数日後,同級生たちの飲み会があった。そのとき参加してくれた憲法の土井先生が「君たちは数が多すぎるなどと言わないだろうね」と話しておられた。「だから」というわけでもないが,私は口が裂けても司法試験の「合格者数を減らせ」などというつもりはない。
都会にいたい,と思うから就職先がないのである。法的サービスの需要は人のいるところ,どこにでもある。都会で就職できなくなるのはいいことである。「やむなく」田舎へ行けば,法的サービスの受けられるところが広がる。司法改革の理念の一つが実現できるのである。
「質の低下云々」の議論も馬鹿馬鹿しい限りである。定量的な証拠は一切ないし,定性的な評価すらほとんどみたことがない。お題目のごとく「合格者数が増えて質が低下し・・・」と唱えられているだけである。そういう言い方がされるのならば,開き直っていえば「水増しすれば味が薄くなるのは当たり前」である。さらに言えば,弁護士会で懲戒される弁護士の入会年次を見てみればよい。高邁な理論を展開する能力があるかどうかより,最低限懲戒されるような仕事をしないことのほうがはるかに大事であろう。味が薄くても,少なくともロースクール出身者の懲戒事例はほとんどあるまい(もっとも,それほど誘惑の多い仕事をしていない,ということもあろうが)。
ロースクールの一期生として,数の問題も質の問題もムードだけで議論するのはやめてほしい,と思う。少なくとも証拠に基づいて理屈をくみ上げるのが弁護士としての最低限の資質であるはずだから。
会館維持協力金訴訟に負けた。予想外の結末だった。
もともとこの訴訟は私が原告ではあるが,実質的には三人の訴訟であった。そして,基本的には三人だけの訴訟でもあった(ごく少数ながらは陰で支援してくれる人はいたが,表だって一緒にやる人はいなかった)。
私以外の二人は畏友YさんとIさんである。訴訟代理人になってもらったり,準備書面をかいてもらったりチェックしてもらったり,衆議院法務委員会の議事録を探してもらったり。すべて三人で議論し相談しながら進めてきた。三人ともロートルである。昭和19年生まれ,24年生まれ,そして25年生まれ。みんな60才を超えたロートルの訴訟であった。
Iさんは,最高裁の判決の前に亡くなった。Yさんと二人で「勝って霊前に報告したいね」とときおり話していたのだが・・・・・。
それができなかったのが無念である。